今週のお題「受験」
息子(3歳8か月)とサイコロで遊んでみた。6の目が出た。息子は最近数字を暗唱して12ぐらいまでは数えることができるようになっていた。ただし、何個あるかなと?と聞いて、4個以上のものを数えさせるとなんだか怪しい。
そこで、ガンゴン君に聞いてみた。
パパ「サイコロは何が出たかな?」
ガンゴン君「ろくー」
パパ「数えてみようか?」
ガンゴン君「1,2,3.1,2,3・・・3!」
衝撃を受けた。3進数なのである。6の目が出たというのは分かるのに、6を数えられないのである。そんなことなんてあるのだろうか?
考えて見れば、当然である。息子は1+1=2であることを理解していないし、そのようなことも教えられていない。ただ、6個あるものを6と呼ぶらしいと感じているだけなのだ。量を体験的に知覚しているのだろう。
そろそろ公文にでも、通わせるか?と思ってネットを調べ始めた。自分の体験では、公文は計算が早くなって良いイメージがあったからである。ただし、公文自体は楽しいイメージはなかった。勉強は辛いイメージはこのころからできたのかもしれない、等と思ってネットの海を揺蕩った。
すると、幼児教育で有名なピグマリオン教室のことを知った。
要約すると、2〜3歳の頃は、5進数が限度。この時期は数を量で体感的に知覚しているだけでだから、1+1=2と教えるのではなく、何度も目の前で体感させることがポイントらしい。
さらに、どんぐり倶楽部という教室の存在も知った。
要約すると、単純反復する高速計算は、思考を停止して固定化してしまうので、抽象的概念を理解することができる12歳までは行うべきではないというものであった。
頭を殴られた気がした。公文では算数の意味を理解できないらしい。公文の弊害と言われているのが文章題・図形は得意でないということであった。自分自身は文章題と図形は得意であったが、これは偶然そうなっただけらしい。
(親バカのひいき目を除外しても)ガンゴン君の暗記力は優れているので、公文に通わせるとあっという間に1+1=2というのは全て覚えてしまうだろう。1+2=3というのも覚えてしまうだろう。延々と覚えていってしまうだろう。そして、やがて算数・数学を使いこなせなくなる日が来る。
恐ろしくなった。私と同じではないか!私はとある難関資格に合格している。この試験は量が膨大であるため、問題の解法パターンを覚えるのが受験生の定石であった。私は暗記が得意であったので、あっという間にパターンを覚え尽くした。模擬試験でも結果は順調であった。
しかし、合格できなかった。不合格になると、もっと解法パターンを覚えなければと、細かい解法パターンを作って覚えたり、Aの場合はB、Bの場合はCというパターンを沢山作り始めたのであった。
そうすると、逆に、試験の成績は下がり始めたのである。解法パターンを沢山覚えすぎた結果、まず、問題がどのパターンで解けばよいのかが解らなくなったり、あの解法パターンだと飛びついて、問題特有のひねりや応用というものを無視したので、とんでもない間違いが多くなった。また、勉強と言ってもパターンをぐるぐると回すだけであった。
要するに、覚えただけで理解していなかったのである。理解していないから使いこなせないのである。
最終的にその試験には合格できたが、その合格方法は忘れ去ったことである。試験をしばらくやめていたのである。細かいことは忘れてしまった。大量に覚えた解法パターンからようやく解放された瞬間に合格できたのである。
決して公文を批判しているのではない。公文は必要な子どもはいるのであろう。だが、私が陥った苦難のことを思い出すとパターン学習でしかない公文は怖いのである。だから、公文はやらせないことにした。
そういえば、自分も熱心にプリントをやらなかったな。宿題1枚だけと言って、先生を逆の意味で驚かせてたなあ。